ラジオ生出演

この旅のことをラジオの電波に乗せてみたい-そう思っていた私の前に現れたのは地元ラジオ局のラジオカー。生出演が始まった…。(長文です)
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ラジオカー

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砺波地方の散村

歩いているときには、携帯用ラジオを聞いていることも多かった。そのうちに、この旅が終わるまでに、いつかは今やっていることをラジオの電波に乗せてみたいものだと思うようになってきた。

しかし、せいぜいハガキが読まれるか電話リクエストが採用されるかといったところだろうと思っていたところが、この日にはなんと地元のラジオに生出演する機会を得てしまった。

今日の目的地は金沢、しかも日曜日。今まで聞いてきたラジオ番組の傾向によると、日曜日の都心部には、地域のあちこちに出かけて行って地元の人と交流を深めつつ地域のニュースなどを伝える「ラジオカー」なるものが出没しているはずである。

だいたい現れる場所はスーパーか公園と相場は決まっていて、それが近くにあったら行ってやろうと思いつつ、昼食後の午後1時からはラジオを地元のAM局に合わせて歩いていた。

果してラジオカーは出ていた。しかし番組の冒頭に入ったラジオカーのレポートは、昨日通り過ぎてきた砺波市のスーパーからだった。あ~あ、今日も残念ながら見送りだなあ、と思った。

1107

ラジオカーのレポータ一は「今からスタジオ(金沢の局)へ帰りま~す」と言ってレポートを終わったので、せめて私を追い越していってくれないかなあ、などと思ったりしたが、高速道路をとばして帰るということで接点は全く絶たれたかに思えた。

しかし出会いというのは本当に不思議なもので、この数十分後、私は「1107」と大きく描かれた一台の派手なバンを見つけることとなる。「あれ?1107ってどこかで聞いた数字だな」と思って携帯ラジオをポケットから出してみると、その液晶表示に表示されていた数字、つまり今私が聞いていた地元ラジオ局の周波数はまごうことなく「1107」であった。

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ラジオカー

これはラッキー!と思い、近づいて行ってスタッフらしき人に声をかけてみる。やはり予想通り砺波から帰ってきたラジオカーで、次のレポートのためにひと休みしていたらしい。この時は生出演させていただこうなどとは夢にも思っておらず、ただ話の種にでもしてもらえればいいな、としか思っていなかった。

しかし、歩いて日本縦断をしていると言ったらたいへんびっくりした様子で、いつの間にやら次のラジオカーのコーナーに出演することに決まってしまった。

生出演(前半)

ラジオカー担当のお兄さんがスタジオに事情を説明してから、いよいよ私の出番である。頭にはスタジオのアナウンサーの2人と話をするためのヘッドホン、手にはマイク。そのマイクを握る手が汗ばむ。

「こんにちは~」アナウンサーの方の第一声。
「こんにちは~」私の第一声。
「まず、名前は何とおっしゃるんですか」
「石原淳と申します」

私は名前を名乗るときには、必ず名字だけではなくて名前の方までフルネームを名乗るくせがある。それは私が自分の名前をたいへん気に入っているからであるが、この日もアナウンサーのお姉さんは、生出演が終わった後の放送では私のことを名前で呼んでいたのが印象的だった。

「石原さんはずっと歩いて旅をしていると聞きましたが、どこから出発したんですか」
「北海道の最北端、宗谷岬です」
「いつ頃出発なさったんですか」
「9月26日です」
「で、目的地は?」
「九州の佐多岬、本土最南端です」

この時点では本土最南端の佐多岬をゴールに設定しており、有人島では日本最南端にあたる沖縄県波照間鳥を最終ゴールに設定するのはまだ先のことであった。

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MRO(北陸放送)

「え、じゃあ全部で何日ぐらいで、いつごろ到着する予定なんですか」
「そうですね、全部で100日、来年の1月の後半ぐらいですかね」
「じゃあ正月はどうするんですか」
「正月はしかたないので一回帰ります」
「そうしたら、また年明けにはそこまで汽車で戻って歩き始めると…」
「まぁそういうことです」(笑)

生出演(後半)

「もう半分近くきたと思うんですけれども、やめたくなったりしたときはありませんでしたか」
しょっちゅうやめたいと思いながら歩いています。でも自分でやりとげようと思ったことですし、歩いていると楽しいこともたくさんありますから、やはりやめられませんね」

この「しょっちゅうやめたいと思って歩いている」というのは決して誇張でも何でもなく、歩いているとき、特にひどい雨が降っているときや風がものすごく強く寒いときなどは、きっかけがあればいつでもやめたいと思いながら私は歩いていた。

サハラ砂漠をリヤカーをひいて横断した日本人が、アフリカのサバンナ地帯を歩いている頃に「リヤカーを牛に踏みつぶされたことにしようか、それとも水牛に足でも踏まれてけがしようか」などというやめる理由のことばかり考え、とにかくきっかけがあったらやめてやると思い続けて歩いたという話も、この旅で私は心から共感できていたのである。

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兼六園にて

「楽しいことというと例えば?」
「宿の人や地元の人がおにぎりや果物などの差入れをくれたり、歩いているとわかると応援してくれたり、車を止めて乗って行かないかといってくれたりすることです。車に関しては事情を話して丁重に断るのですが、ちょっと申し訳ない気もします」

結局、この話が効いたのかも知れないが、翌日私はラジオを聞いていたという地元の方にとっても美味しいリンゴを3つもいただき、ガソリンスタンドのアルバイトのお姉さんに大きな声で応援され、何台かの自動車の助手席の人に振り返られるということになり、少しだけ有名人になってしまったのであった。